私が交流会を運営する理由について書いてみます。
少しだけお時間をください。
カフェ会って、その日たまたまお集まりいただいただけの、偶然の繋がりなんです。
人生はそんな「たまたま」のきっかけで大きく動き出すことがある、というお話です。
いばらきカフェ会主催の「アサダ」と申します。
毎月たくさんの方にご参加いただいておりますが、初参加の方からは「参加しようかどうかすごく悩みました」
というお声も確かに聞くんですよね。
分かります。
シンプルに不安ですよね。
どのような方が来るのかわからないし、何の話をしていいのかもわからない。
でも、これだけは毎回同じ状況だ、ってことがあるんです。
それは、
私だけは、毎回どのカフェ会にも参加します。
ということ。
私がどんな人生を歩み、そしてどんな思いで交流会を立ち上げたのか。
それらを知っていただくことで、少しでも気持ちが楽になっていただければと思い書いています。
私は30歳の時から16年間、父子家庭パパとして子供たち2人を育てていました。
シングルファザーってやつです、今で言うところの。
でも、その当時はそんな言葉は世の中的に全く認知されておらず、国からの支援も一切ない頃でした。
それはもう、過酷です。
仕事もできない、両親がいないので子供を預けるところもない、国からの支援もない。
何とか昼間のパートで細々生活していたのですが、2011年の東日本大震災ですべてを失い
あっという間に貧乏のどん底です。
そこからは、転がり落ちるように負の連鎖に見舞われました。
信じられないような出来事の連続です。
小説のストーリーだったら現実味がなさ過ぎて、読んでいて「つまらない」と感じるレベル。
そんなウソみたいな出来事が、私の人生には本当に起こりました。
茨城の方ならお分かりだと思うのですが、東日本大震災の時って、結構なダメージでしたよね。
私もそのダメージをもろに食らった一人です。
私もそのダメージをもろに食らった一人です。
パート先は崩壊し、仕事を探そうにも求人すらない。
ましてや私のような父子家庭パパなどという、当時世の中的に全く浸透していない「??」な生活をしている30過ぎのおじさんなど、どこも見向きもしてもらえませんでした。
ましてや私のような父子家庭パパなどという、当時世の中的に全く浸透していない「??」な生活をしている30過ぎのおじさんなど、どこも見向きもしてもらえませんでした。
そこからはもう、食うや食わずの生活です。
自分の食事はもはや「贅沢」の域になりました。
自分の食事はもはや「贅沢」の域になりました。
子供達にご飯を食べさせるだけで精一杯、明日食う金が、ないんです。
このころから私は「食事抜き」という生活スタイルになりまして、それが今でも名残としてすっかり体に染みついておりますので、いまだに食事は1日1食なんです。
慣れというのは恐ろしいものです。
職を転々としながら、どうにかこうにか生きてはいたのですが、父子家庭パパ10年目にとんでもないことが起こりました。
息子が事故で生死をさ迷う。
結構大きな事故をしまして、救命救急室に入れられ、担当医からは「一命をとりとめるか否かは50%」と言われました。
これはもう、生きた心地がしない出来事でした。
何とか一命はとりとめたのですが、医師からはさらに「意識が戻ったとしても、過去の記憶は戻らない可能性が高い」と言われました。
(今はすっかり元気になりました^^)
(今はすっかり元気になりました^^)
事故の際に頭部を強打してしまい、記憶をつかさどる部分の損傷がひどい、とのことでした。
さすがに悩みました。
どうするべきなのか。
とんでもないことの連続でなんとかここまで生きてきたのに、その記憶がすべてなくなっちゃうんだ・・・そう思ったらかわいそうで。
そこで私は一念発起、彼のために今までの十数年の出来事を文字にして残しておこうと決めたんです。
古いアルバムの代わりです。
仕事の休憩時間、仕事終わり、仕事がお休みの日、自分が使えるすべての時間を使って約8か月。
文字数にして30万文字にも及ぶ10数年間の記録を書き上げました。
古いアルバム代わりに書いたド素人のへたくそな文章ですので、どこかに発表するとかの意図はなかったのですが、8か月もかけて30万もの文字を書いたら、ふと、誰かに読んでもらいたい、という思いが沸き上がりました。
それだけ書き上げたときの達成感があったんです。
だからと言って知り合いに読んでもらうのも気恥ずかしいし、気が引けます。
なので、とりあえずどこかのサイトにあげてみようと思いました。
どうせ読んではもらえないだろうけど、記念です、せっかく書いたんだし。
そんな気持ちでした。
「STORYS」という人生投稿サイトに、何も考えずに、小分けにした文章を連載という形であげていきました。
1日に、1投稿か2投稿くらい。
作業ですね、毎日淡々と。
1週間くらい過ぎた頃でしょうかね、「続きが読みたい」というメールが何通か来るようになりました。
「あ、読んでる人、いるんだ」
と思って、また日々淡々と作業を続けました。
半月くらい経ったら「続きが読みたい」というメールが鳴りやまなくなったんです。
すごい数の問い合わせが来るようになりました。
全47話に分けた文章の最終話を投稿し終えたときには、とんでもない数の感想や激励のお言葉をいただけたんです。
Yahoo!ニュースなどにも取り上げていただき、のべ1万人以上の方に読んでいただくことができたんですね。
これには本当にびっくりしました。
その後この文章がコンテストで優勝することととなり、書籍化が決まり、なんと私は作家デビューすることになりました。
小さい頃なりたかった職業は「ラジオパーソナリティ」と「プロレスラー」と「作家」でしたので、一つ夢が叶ったことになります。
そのおかげで「有名人」と呼ばれるような方々にもたくさんお会いできましたし、私の人生が、ちょっとしたきっかけで大きく動いたんですね。
そもそもの動機は違ったのですが、偶然の出会いとたまたまの積み重ねのおかげで、たくさんのことを学ばせてもらいました。
たまたま父子家庭パパで、たまたま事故にあって、たまたま文章を書こうと思って、たまたまサイトに投稿しただけなのに。
でもその「たまたま」の積み重ねがなければ、出会えなかった人がたくさんいたわけですし、私に何か特別な能力や才能があったわけではありません。
この経験に味を占めた私は「たまたまの何か」を求め、すぐさま仕事を辞め旅に出かけました。賞金と印税を握りしめ。
それがたまたまだったとしても「素晴らしい偶然の積み重ね」が、あなたの人生も大きく動かすかもしれません。
カフェ会にはきっとそんな素晴らしい偶然があると、私は信じて交流会を運営しています。
そして私は、いつ、どのカフェ会に行っても参加しておりますので「ちょっとアサダに会いに行ってみようかな・・・」的な感覚でしたら、初回のご参加もしやすいかもしれませんしね。
では、このお話の続きはカフェ会でお会いした時にでも。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お会いできる日を楽しみにしています。
コメント